トップ頁 > WEB連載 > WEB連載 “女子”の心得 > 第2回 「幸せな家庭」と「女性の笑顔」

古来、日本では、女性の美質はどのように考えられてきたのでしょうか。その話に入る前に、前提として、「そもそも、よく生きるとはどういうことか」という大問題を考えることにしましょう。
ふだん私たちは、深く考えることなく生きています。日常生活においては、生き方をあれこれ考えることなく、まっとうに楽しく、かつ最善を選んで生きているものです。
生まれる、食べる、排泄する、寝る、子供を産む、死ぬ――これらは人間もその他の動物も、すべて同じです。しかし、人間と人間以外の動物は、どこかが違う。
同じことをしていても、人間は、あるときは「面白い」、あるときは「つまらない」と感じます。同じように遊んでいても、あるいは仕事をしていても、「充実している」と思えるときもあれば「空しい」と思うときもあります。意味があると思って毎日行なってきたことが、突然「無意味」に思えたり、あるいはその逆もあります。
動物が食事をするときは、「退屈だから音楽でも聞こうか」とか「誰かお客さんを呼ぼうか」などということは考えません。しかし人間は、“生きること”に意味があるかどうかを考える。これが、人間とその他の動物との違いです。
他にも違いはあります。動物はお腹が空いたらものを食べます。これは本能であり、自然法則です。人間もたしかに、お腹が空いたらものを食べますが、“必ず”食べるでしょうか。
お腹が空いているときに、目の前のお店に食べものがあって、しかし自分はお金をもってないとしましょう。少なくとも、食べてはいけないという気持ちを、人間は心のどこかにはもつはずです。しかし、自然界の動物はそのようなことは思いません。人間も自然のなかにいる生物ですが、ときに自然法則に反したことをするのです。
この自然法則に反した部分が「道徳」、あるいは、「自由意思」というものです。人間は、半分は自然であり、半分は自然からはみ出している存在です。そのはみ出している部分で、「意味がある」とか「意味がない」などと考えるのです。
一人で寂しく食べるよりは誰かと食べたほうがいい、という発想は、人間にしかありません。「意味」とはそういうもので、誰かから認めてもらったり理解してもらって、はじめて生じるものです。「美味しいね」といってもらって嬉しいのは、「美味しい」ということを、相手が認め、理解してくれたからに他なりません。
「楽しい」という場合にも、やはり誰か他の人間が必要でしょう。一人でテレビゲームをやっても楽しい、と思われるかもしれませんが、よく考えてみれば、ゲームのなかには対戦相手がいます。対戦相手なしに、何の点数もつかず、勝ち負けもなく、ただ一人で目的もなく石を積むだけのようなゲームならば、はたしてそのゲームは面白いでしょうか。たとえば点数が出るというのは、そこに「何らかの評価がある」ということです。そして「何らかの評価がある」ということは、誰かに評価されている、他人の目がある、ということです。仮想でもやはり対戦相手が必要なのです。
孤高に生きる人でも、心のなかに、必ず自分自身ではない「何者か」を宿しているのではないでしょうか。それは神様かもしれません。ライバルかもしれません。父や母や先祖かもしれません。もう一人の自分かもしれません。
「意味ある人生」を生きるためには、必ず誰か他の人が必要なのです。
「充実している」とか「楽しい」ということはまったく考えず、ただ生きるために食べ、生きるために仕事をし、つまり「生きるためだけに生きている」としても、そのためには情報や知識が必要です。猿でも、どこの木に何がある、水はどこにある、などという情報や知識をもっています。
人間の場合には、それだけではなく、「よりよく生きる」ための知恵も必要です。「生きがい」や「意味」を求める──つまり「どうすればこの仕事が充実するだろう」「どうすれば幸せに生きられるだろう」と考え、それを選んで決めていく力が絶対に必要なのです。
この二つの能力は、哲学の言葉ではそれぞれ「理論知」「実践知」といいます。
日本において「理論知」は、『源氏物語』の時代には「才」(ざえ)と呼ばれていました。新しい言葉だと「漢才」(からざえ)、明治以降の言葉では「洋才」(ようさい)と表されます。もう少し平たくいえば、いわゆる「知識」です。
また「実践知」は、日本では古くは「魂」という言葉で表していました。「和魂洋才」(日本固有の精神で、西洋の学問知識を学ぶこと)の「和魂」も、それを表しています。
「大和魂」という言葉は、じつは江戸時代以前は実践知を表していました。現代ではこれは、昭和の戦争の時代における勇ましい武士の精神のように思われていますが、本来は、まっとうに人間が生きていく、「楽しく幸せ」を求めて生きていく、そういう力を「大和魂」と呼んでいたのです。
「大和魂」の意味が「死を恐れずに戦う」という意味に偏ったのは、日露戦争のあたりからです。文明の利器の他に、日本人の何か精神的な力が戦いに勝利をもたらしたに違いない、と人々が感じ、それを「大和魂」という言葉で表したのでしょう。これは、ある意味では正しかったのですが、そののち幾多の誤解を生むもとともなっています。
さて、「実践知」は他にもさまざまな呼ばれ方をします。知識に対して「智恵」や「常識」などともいわれます。最近流行りの「地頭」(じあたま)という表現も、これに近いものかもしれません。ギリシア哲学で「徳は中庸なり」といいますが、この「中庸」も実践知を表す言葉です。
つまるところ、「実践知」は、まさに「生きる力」そのものといえましょう。
しかし、いったい「実践知」とはどういうものか、とてもつかみにくい。どうやって身につけたらいいか、教えることもすごく難しい。けれども、私たちは、生きていくなかで必ずこの力を使っています。
人間が生きていくとき、すべてのことがわかっているわけではありません。明日のことはもちろん、一瞬先のことは誰にもわからない。私たちは「生きる」ために、半分程度は持ち合わせた知識を使って切り抜けていますが、しかし一方で、つねに何かわからないものにぶつかっています。「どうしよう」と考えながら生きています。
たとえば、いくら大学で最新科学の知識を学んで「男性とはこういうもの、女性とはこういうもの」と生物学的に知り尽くしたとしても、「さて、この人とお付き合いをすべきかどうか」「この人と結婚しようかしまいか」を考えるときに、それが何の手がかりになるでしょうか。
人間は、そのような「人生の一大事」を、何を手がかりに選んでいるのでしょうか。それは、いくら「知識」を総動員して考えてもわかりません。しかし、ほとんどの人が「私はこうする」と何かしら判断して選んでいる。その応用的能力が、生きていくためにいちばん大切な力です。いうなれば、プログラムどおりにいかないことを自分で切り開いていく力です。
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