政策総合研究部主任研究員 前田宏子
4月、中国で南京事件(1937年、南京で日本軍による虐殺が行われたとされている事件。死傷者の数や違法性、証拠とされるものの信憑性を巡り、いまでも議論が続けられている。中国では「南京大虐殺」と呼ぶ)に関する二つの映画が公開された。ひとつはドイツ・フランス・中国合作の『ジョン・ラーベ』、もう一つは中国人監督が中国国内で撮影した『南京!南京!』である。
『ジョン・ラーベ』は、南京攻略戦の際、多くの中国民間人を保護したドイツ人実業家ジョン・ラーベを描いたもので、映画配給会社によれば「中国版“シンドラーのリスト”」とのことである。もう片方の『南京!南京!』は、南京の人々や日本兵の視点から南京事件を捉えなおした群像劇である。
これら2本の映画は、いずれも今のところ日本で公開される予定はなく、私もまだ鑑賞していない。まだ見ていない映画のことを書くのは気が引けるが、『南京!南京!』の映画監督である陸川氏のインタビューや発言が興味深かった。38歳の陸川監督の作品は、二つの点で、これまで中国で作られた抗日戦争映画とは異なるようだ。
ひとつは、事実を客観的にとらえようという努力が見られる点である。たとえば、『南京!南京!』の重要な登場人物の一人である日本人兵士は、南京で起こっている惨状と罪の意識に耐えかねて、中国人二人を逃がしたあとに拳銃で自殺する。これまで、このような映画に登場する日本兵といえば、血も涙も無い鬼畜のように描かれるのが通例であった。実際、中国のインターネット上では、日本兵を普通の人として描いたことに対する非難の声が上がっている。それに対し、陸監督はインタビューで「実際に映画を見た人はまだそれほどいないはず。インターネットで世論を誘導しようとする不当な業界競争だ」、「私はできるだけ多くの資料を調べ、日本兵の日記も読んだ。そうすると、彼らも普通の善良な人々であることが分かる。しかし、そのような人々が戦争という状況に放り込まれることによって、精神が麻痺してくる。自分が彼らの状況に置かれたとき、同じことをしないとは言えないし、それは誰にでも起こりえることなのだ」と述べている。また、インタビュアーから「南京大虐殺に関する映画は日本では上映禁止となっている」「日本人は南京大虐殺のことを知らないのではないか」と問われると、「日本に映画の上映を禁止できる機関はない。日本の配給会社が映画を買い取る気になるかどうかが鍵を握っている」、「日本人も南京大虐殺のことは知っている。ただ、被害者の数や、戦争後に行われた裁判の公正さについて、異なる意見をもっている」と、中国で流布している情報を修正する発言をしている。
これまでの一般的な中国人の見方とは異なる態度に加え、もう一つ新鮮だったのは、陸監督のナショナリズムの表れ方である。少し長くなるが、再び陸監督の発言をいくつか抜粋しよう。「私はこの映画で(被害者の)数字としてしか表されない群集一人一人に焦点を当てたかった」「どうして南京大虐殺が起こったのか。それは我々(中国人)の抵抗が非常に熾烈だったからだ。これまで歴史家は、中国人の抵抗について語りたがらなかったが、屈辱(の歴史)を証明するために、抵抗(の事実)をどうして消し去るのか。この映画は屈辱についてではなく、中国人のかつての栄光について語っている。抵抗の火は決して消えることはなかった。映画の中の一人一人の抵抗が、我々に希望を与えてくれる。」90年代の中国の愛国主義教育は、中国近代史の屈辱の面を強調した。その後、「中華民族の偉大な復興」が強調されるようになったが、陸監督の「屈辱より栄光を」というのは、まさにそのような流れに合致しているようである。中国が名実ともに大国として認識されるようになり、都市部で中産階級として育つ若者が増えるにつれ、これまでとは異なるナショナリズムが登場してくるのかもしれない。
上述のように、『南京!南京!』はこれまでとは異なる視点をもつが、その内容には、おそらく日本人にとって承服しかねる部分も依然として存在するだろう。5分ほどの映画予告を2パターン見ただけだが、日本兵に殺されようとしている中国人が「中国万歳!」と叫ぶシーンは出来すぎの感が否めないし、慰安婦の描かれ方についても批判が出そうである。日本の研究者からは、監督が依拠している資料の信憑性を問う声も出るだろう。だが、それでも、中国で撮影された映画で、このような作品が出てきた意味は小さくない。陸監督の見方は、中国では今のところ少数派である。また、監督の“公正な”発言は、『ジョン・ラーベ』に対する競争意識から出ている部分もあるようだ。だが、少しずつでも、歴史をより客観的に見ようとする姿勢が中国の若い世代の間で広がっていくのか、注目したい。
「南京事件に関する映画」と聞くと、ほとんどの日本人は重苦しい気持ちになり、一部の人はうんざりとした気分に襲われる。それは、多くの外国人が考えているように、「日本人は過去の過ちを認めたがらない」からというより、真摯に受け止めなければならない事実の中に、政治プロパガンダや虚飾が巧妙に織り込まれ、物事が単純化されているのに抵抗を感じるからだと思う。しかし、例えば動画サイトのYoutubeで、『ジョン・ラーベ』や『南京!南京!』に関する書き込みを見ると、中国人に限らず、多くの外国人が、日本で映画が上映されないことを批判し、「日本人は過去の過ちを受け入れる勇気がない」と非難している。偏見をもった見方だが、その誤解を解く努力が、日本人に足りないのも事実だろう。たとえ中国の若い世代の考え方が変わっていったとしても、すぐに歴史問題が解決できる、あるいはお互いに理解しあえると思うのは早計である。しかし、我々は倦むことなく、相手の主張に耳を傾け、自分たちの考えを説明し続けなければならないし、特に、我々のことを理解しようと努める人に対し、冷淡であってはならないと思う。
(2009年5月13日掲載。*無断転載禁止)
PHP総合研究所Webサイト【http://research.php.co.jp/】(PCサイト)
前田宏子(PHP総合研究所主任研究員)
略歴:1996年大阪大学法学部卒業。1999年京都大学法学研究科修士課程修了。同年、PHP総合研究所入社、中国外交や日本の安全保障政策の研究に従事。2003年中国清華大学へ留学、04〜05年にかけて中国社会科学院当代中国研究所訪問研究員。2005年より慶應義塾大学グローバルセキュリティーセンター客員研究員、07年より同大学現代中国研究センター研究協力者。
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