政策総合研究部主任研究員 前田宏子
先月、中国で研究者にインタビューして回る機会があったのだが、中国の国際的地位の上昇によって中国人が自信をつけ、冷静な議論をするようになったと感じた。以前は、中国の政策の矛盾や国内問題を指摘すると、感情的になって反論してくる人が少なくなかったが、そのような反応はほとんどなかった。あくまで知識人に限定した話だが、良い兆候だと思う。
他方で、いくつかの問題に対する見通しが、やや楽観的すぎやしないかと気にかかった。その一つはチベット問題の将来についてである。チベット問題に対する中国政府の態度が、話し合いによる解決という立場から後退しているのではないかと指摘すると、ある研究者は「チベット問題は、もはや大した問題ではない」と答えた。「欧米も、チベット問題について批判することはなくなった。ダライ・ラマは高齢だ。彼のあと、チベットを束ねるような人物はいない。過激派が騒動を起こすかもしれないが、(青蔵鉄道の開通によって)軍を投入できるようになり、鎮圧が可能だ。チベットは内蒙古と同じようになるだろう」と答えた。確かに、ありえない話ではない。だが、本当に共産党の思い通りに行くものだろうか、その油断が、更に少数民族の反感を煽り、危機を引き起こす要因になるのではないかと、話しを聞きながら思っていた。
チベットと同じように、少数民族問題を抱える新疆ウイグル自治区で、今回このように大きな暴動が起きたことにより、彼らの認識も少しは変わるかもしれない。暴動について報じるニュースで「新疆ウイグル自治区は戦略的に重要な位置にあり、資源が豊富云々」という解説をときどき見かけるが、中国の指導者らにとって、今はそんなことは大した問題ではないとは言わないまでも、二の次の問題である。中国共産党が恐れるのは、一つの綻び(新疆ウイグル自治区での暴動)が、他の少数民族や、農民、失業者など不満を抱える層に伝播し、あちこちで騒乱が起こって、中国という国家の弱体化につながることだ。特に今回は、156名もの死者が出たこと、ウイグル族と漢族の対立という構図が鮮明になったこと、一部の活動家だけではなく多くの大衆が参加したことなどが問題視されている。しかも、胡錦涛国家主席がラクイラ・サミットに出席している最中の発生であったため、中国政府は組織性を疑い、相当の危機感を抱いているはずだ。
新疆ウイグル自治区のウイグル族の人々は、漢族との経済格差や同化政策に不満を持っている。これまで中国共産党は、チベットに関しては対話重視、新疆ウイグル自治区では弾圧という異なる政策をとってきた。チベットには、ダライ・ラマ14世というカリスマ的指導者がいるが、新疆ウイグルにはそのような指導者が存在しないためである。かつ、ウイグル族の一部過激派が、テロなど暴力的手段に走っていることも、弾圧という手段をとりやすくした。
共産党の政策に非があったとしても、暴力やテロは決して許されるべきではない。ただし、人々を締め付ける政策には限界がある。ネットワーク化が進んだ社会では、一部の過激派だけを締め付けようとしても難しく、結局それは社会全体への締め付けとなり、一般の人々の反感をも買うことになるからである。
大枠として、中国共産党が少数民族の要望を理解もせず、対応できていない点に問題があるのは間違いない。だが、具体的な解決策を考えるさいには、少数民族問題を単に「共産党と抑圧される少数民族」という構図でとらえるだけでは不十分だ。少数民族の中にも、さまざまな利益集団が存在する。共産党の政策によって利益を得ている一部の人、過激派、分離・独立を主張する人(細かく見れば、分離・独立を主張する動機は異なるかもしれない)、そして多数を占めるであろう、共産党に不満をもっているが政治には関わりたくない、とにかく面倒を避けて平穏に暮らしたいと思っている人々。そのような構図を理解した上で、彼らの要望を達成していくにはどうすればいいかを考えるべきだ。
また、民族の伝統文化を尊重しつつ、国家としてのまとまりを如何に維持していくかというのは、少数民族問題に特有の課題かもしれないが、経済格差や不当な扱いに対する不満は、少数民族だけに限定される問題ではない。チベットや新疆ウイグル自治区に対し、中央政府は特別の財政支援を行っている。GDPは伸びているが貧富の差は拡大しているという状況、都市住民の農民工(出稼ぎ労働者)に対する蔑視、お金を持っている人がそうでない人々に接するときの尊大な態度などは、中国全土で見られる問題である。
少数民族問題が解決されるためには、中国が多元性を認める社会となり、法治が確立し、人々の民度が財の有無で人を差別しない程度に上がらなくてはならない。そんな日が本当に来るのかと気が遠くなりそうだが、北京の人々の民度は、オリンピック後に確かに少し上がった。遅々としてでも中国社会がよい方向へ進んでいくことを期待したい。
(2009年7月15日掲載。*無断転載禁止)
PHP総合研究所Webサイト【http://research.php.co.jp/】(PCサイト)
前田宏子(PHP総合研究所主任研究員)
略歴:1996年大阪大学法学部卒業。1999年京都大学法学研究科修士課程修了。同年、PHP総合研究所入社、中国外交や日本の安全保障政策の研究に従事。2003年中国清華大学へ留学、04〜05年にかけて中国社会科学院当代中国研究所訪問研究員。2005年より慶應義塾大学グローバルセキュリティーセンター客員研究員、07年より同大学現代中国研究センター研究協力者。
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